#03 管啓次郎(詩・比較文学)

Lecture Series 2015

2015.12.19 Sat 14:00-17:00
Lecture REWILDING
Session 湿地・荒地・砂漠
 〈再野生化〉の思想

リーフレット ダウンロード

Profile

管啓次郎(すが・けいじろう)
1958年生まれ.。詩人・比較文学者。
明治大学大学院理工学研究科 教授。
1980~90年代にかけて、アメリカ中西部、南米、カリブ海地域、ハワイなどで暮らす。
多言語性・亡命・移住などをテーマとする比較文学論のほか、詩作、批評、翻訳、朗読など多領域で活動。
2011年読売文学賞受賞、著書多数。

レクチャー主旨

砂漠に住むというのがどういうことなのか、砂漠に住んでみるまで知らなかった。そして知ったのは砂漠の美しさだった。サン=テグジュペリの『星の王子さま』のおしまいのほうで、王子が「砂漠ってきれいだな」とつぶやく。それに対して、王子とつかのまの友情でむすばれた「ぼく」は、こんなふうに考える。「ほんとうだった。ぼくはいつだって砂漠が大好きだった。砂の丘の上にすわってみる。何も見えない。何も聞こえない。それなのに何かが、無音の中で光を放っている……」

ぼくが住んだ砂漠は北アメリカ大陸南西部のソノラ砂漠で、それはサン=テグジュペリが知っていたサハラ砂漠とはちがった。サハラのような砂の海ではなく、岩とサボテンの荒野なのだ。岩と、数種類のサボテンと、さまざまな灌木の荒野だ。そして砂漠に住むいろんな動物たち。ぼくはそこに三年住み、その土地を愛し、その土地に救われた。

「川が川に戻る最初の日」(『ろうそくの炎がささやく言葉』勁草書房,2011年)


詩の主題はつねに地、水、火、風。自然力は人が書くどんな詩にも流れこむ。そこを流れる時間は悠久で、百年も千年もない。一方、人工物は、技術は、人が意図しないかぎりは詩に影すら落とさない。意識されない技術は疑似自然となって、われわれが暮らす都市に輪郭と限界を与えながら、みずからの存在を忘れさせる。この忘却を、自然が打ち砕く。人間が社会と称するものがどんな循環にさらされているかを思い出させる。そしてわれわれは、自然力との関係をむすびなおすにも、技術の暴走を止めるにも、言葉によってわれわれの行動を調整する以外にない。詩は、詩こそが、生きるための技術なのだった。

『ろうそくの炎がささやく言葉』勁草書房,2011年

管啓次郎

主催:松田研究室
申し込み・問い合わせ:info@matsuda-lab.net
※迷惑メール対策のため、お手数ですが "@" の部分を半角のアットマーク記号に置き換えてください。